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福岡地方裁判所久留米支部 昭和57年(ワ)116号 判決

原告

秋山由実子

被告

有限会社ラッキータクシー

主文

一  被告らは各自原告に対し、金一四二万三九八九円及びこれに対する昭和五三年八月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その二は原告の、その余は被告らの各負担とする。

四  この判決の一項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自原告に対し、金一二三九万六三一七円及びこれに対する昭和五三年八月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

(一) 発生日時 昭和五三年八月一四日午前一〇時四〇分頃

(二) 場所 久留米市西町一三四番地先路上

(三) 加害車 普通乗用自動車(福岡五五い九九三〇)

(四) 運転者 被告宗多賀人

(五) 加害車の保有者 被告有限会社ラツキータクシー

(六) 被害者 原告

(七) 事故の態様

原告がその家族とともに、被告会社の運転手である被告宗運転の加害車に乗車中、右加害車がその前方に停車した普通貨物自動車に追突したもの。

(八) 結果

右追突事故により、加害車の後部座席に乗車していた原告は、前方に倒れ、右側顔面打撲症及び右手背打撲症の傷害を負つたが、その後、右上腕リンパ浮腫の後遺症が発症し、現在に至つている。

2  被告らの責任

本件事故に関し、被告会社は加害車の運行供用者として自賠法三条に基づき、被告宗は先行車が急停車してもこれに追突することがないように前方を注視し、かつ、車間距離を十分にとつて運転すべきであつたにもかかわらず、これを怠つた過失により、前記交通事故を惹起したものであるから民法七〇九条に基づき、いずれも原告が本件事故により被つた損害を賠償すべき義務がある。

3  原告の損害

(一) 治療費 金八六万二五三七円

原告は前記傷害及び後遺症により、昭和五三年八月一六日から昭和五四年一月二九日までの間、久留米市津福本町北長田の安西医院に通院し、その後昭和五四年二月一日から現在まで久留米大学医学部附属病院に通院し、その間、昭和五四年八月三〇日から同年九月五日まで、同年一〇月一三日から同月二二日まで、同年一二月一一日から昭和五五年二月二〇日まで、昭和五七年一〇月二三日から昭和五八年一月三一日まで、昭和五九年三月二一日から同月二八日まで、同年六月二〇日から同年七月一二日まで、それぞれ入院した。

右期間中の治療費は、入通院分合せて金八六万二五三七円である。

(二) 入院中の諸雑費 金一五万四七〇〇円

原告は右入院期間中(合計二二一日)の諸雑費として、一日あたり七〇〇円、合計金一五万四七〇〇円を要した。

(三) 通院費用 金一万二六〇〇円

原告はその住所から久留米大学附属病院までバスで通院し、昭和五七年四月末日までで三〇回、一往復につき四二〇円、合計金一万二六〇〇円を要した。

(四) 付添費 金一三万円

原告の夫は会社員として一か月一三万円の収入を得ていたが、原告が久留米大学附属病院においてリンパ浮腫の手術を受けた後、一か月間会社を休んで付添看護をした。

(五) 逸失利益 金八四三万六四八〇円

原告は事故当時、久留米市大善寺町宮本の筑邦モータースに塗装手伝の雑役婦として勤め、一か月平均一六日稼働して三万二〇〇〇円の収入を得ていた。しかし、本件事故により右上腕リンパ浮腫の後遺症が発症し、右上腕部が周囲三五センチメートルにも膨張し、右上肢重量感・疼痛・運動障害のため、労働に従事することが不可能となり、右筑邦モータースを辞めざるを得なかつた。

原告は事故当時二六歳の女子であつたが、本件事故に遭わなければ六七歳まで労働に従事し、少くとも月額三万二〇〇〇円の収入を得ることができたはずである。

そこで、中間利息の控除にホフマン式を採用し、その間の逸失利益の現価を計算すると、八四三万六四八〇円となる。

32,000円×12×21.970=8,436,480円

(六) 入通院の慰藉料 金三〇〇万円

原告は前記傷害及び後遺症のため、合計二二一日間入院し、また、長期間通院を余儀なくされている。これに対する慰藉料は三〇〇万円が相当である。

(七) 後遺症の慰藉料 金一〇〇〇万円

原告は本件事故により前記のような後遺症を残すに至つたが、その程度は自賠責保険の後遺障害等級表六級に該当する。その慰藉料としては一〇〇〇万円が相当である。

(八) 弁護士費用 金一〇〇万円

原告は本件訴訟の提起を原告代理人らに依頼し、その費用として一〇〇万円を支払うことを約した。

4  損益相殺

原告は自賠責保険より、傷害分として一二〇万円、後遺症分として一〇〇〇万円の各給付を受けたので、前項の損害額合計二三五九万六三一七円からこれを控除すると、残損害額は一二三九万六三一七円となる。

5  結論

よつて、原告は被告らに対し各自、金一二三九万六三一七円及びこれに対する本件事故発生の昭和五三年八月一四日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1項の(一)ないし(七)の事実は認める。同(八)は知らない。

2  同2項の事実中、被告会社が加害車の運行供用者であること、及び被告宗に前方の注視を怠る過失があつたことは認める。

3  同3項の事実中、(一)ないし(五)の事実は知らない。同(六)及び(七)の主張は争う。同(八)については、原告が本件訴訟の提起を原告代理人らに委任したことは認めるが、その余は知らない。

4  同4項のうち、原告が自賠責保険から合計一一二〇万円の給付を受けたことは認める。

三  被告らの主張

1  消滅時効

本件事故の発生は昭和五三年八月一四日であり、原告の本訴提起は昭和五七年五月二四日である。したがつて、本訴提起の時には損害賠償請求権は時効により消滅している。原告は昭和五五年二月二〇日の時点でも、いまだ傷害が固定せず、その損害は確定していなかつたから、消滅時効は進行を開始していないと主張する。しかし、本件の場合、原告の右上腕に異常が出てきたのは、事故後五日目の八月一九日であり、初めは右手甲が赤く腫れて右腕全体に痛みを覚えていたところ、その後、右手甲の腫れは次第に上の方に上がり、毎日少しずつ腫れを加えて、三か月位で甲第四号証の写真のようになつたというのである。

そうすると、最初に右上腕に異常が顕れた昭和五三年八月一九日には、原告は民法七二四条の「損害を知つた」と思われるが、仮にそうでないとしても、遅くともそれから三か月後の同年一一月一九日までには、原告が右損害を知つたことは間違いない。したがつて、遅くとも同日から時効期間が進行し、それから三年後の昭和五六年一一月二〇日には消滅時効が完成している。

2  因果関係の不存在

本件事故は、被告宗がタクシーを運転して走行中、交通渋滞のため停車した前車に追突したことによつて発生したものであるが、その時の本件タクシーの速度は約三五キロの低速であり、追突前には急制動をして停車寸前の状態であつたから、追突の衝撃は極あて軽微であつた。本件タクシーには原告のほか、その夫、長男、妹、妹の長男が乗客として乗つていたが、被告宗を含めて原告以外には誰も怪我をしていない。そして、本件事故の際、原告が右上肢のどの部分かを打撲したかどうか、そのことから証拠上明らかではない。

仮に、原告が本件事故により右上肢のどこかを打撲したとしても、それが右腕リンパ浮腫発症の原因とは言えない。

証人中山陽城の証言によると、リンパ浮腫は先天的なリンパ管の過形成、低形成等の異常のため、リンパ管の機能が悪くなつて発症するもので、普通は外傷も何もなくて自然に手とか足とかが腫れてくるが、強く打つたりしたことが引き金になつて起こるという報告もあるというのであり、その最後の点が、打撲とリンパ浮腫を結びつける唯一の証言である。しかし原告の場合、本件事故によつて右上肢を強く打つた事実がないことは前記のとおりであり、結局、本件事故は医学的見地からしても、リンパ浮腫の原因ではない。

仮にそうでないとしても、本件事故と原告の右腕リンパ浮腫との間には相当因果関係はない。仮に条件的因果関係の存在が認められるとしても、右の疾病はもつぱら原告の特異体質に起因するものであり、被告らは事故当時、原告がそのような特異体質の持主であることを予見しなかつたし、また、予見することができなかつた。証人中山陽城の証言によつても、このような素因を持つ人は極めて稀ということであり、被告らは右疾病について損害賠償責任を負う理由がない。

仮に、右の主張がいずれも理由がなく、原告の右腕リンパ浮腫について被告らの責任が及ぶとしても、右疾病はもつぱら原告の特異体質に基づくものであるから、賠償額について大幅の減額が行われるべきである。

また、原告は本件事故後、医師から湿布をするように指示されているのに、その指示を守らなかつた。このような原告の治療態度が特異体質と相俟つて、右リンパ浮腫の疾病を惹起する原因とならなかつたとは言えない。右治療上の過失についても、相当の過失相殺がなされる必要がある。

四  被告らの主張に対する原告の反論

1  消滅時効について

原告は本件交通事故により右上腕リンパ浮腫が発症し、昭和五三年八月一六日以降現在まで治療を続けてきており、その間昭和五四年八月三〇日から同年九月五日まで、同年一〇月一三日から同月二二日まで、同年一二月一一日から昭和五五年二月二〇日までと、久留米大学附属病院に入院を繰り返し治療を受けたが、昭和五五年二月二〇日の時点では未だ原告の症状は固定せず、その損害は確定していなかつた。したがつて、右時点までは損害賠償請求権の消滅時効は進行を開始していないものであり、未だ時効は完成していない。

2  因果関係の不存在について

原告に右上腕リンパ浮腫が発症したのは、本件交通事故によつて打撲したことが原因である。医師も右症状が外傷性であることを認めている。原告はそれまで上腕等身体を打撲することがあつても、リンパ浮腫の症状が出たことは一度もなかつたし、本件事故後にもない。右症状は本件事故の直後に発症しており、事故と相当因果関係があることは明らかである。

被告は原告の特異体質を主張するが、原告はこれまで打撲や傷害に対し、通常人より特別な症状を呈したことは一回もなかつた。右上腕リンパ浮腫発症のメカニズムが医学的に解明されていないからといつて、これを特異体質と決めつけるのは失当である。たまたま、打ちどころが悪くて予想外の身体障害が発生することは通常あることである。

また、被告は原告の治療上の過失をいうが、原告は医師の指示をよく守り、しばらくは湿布もしていた。しかし効果がなく、却つて右腕が膨れるなどの症状が出てきたため、医師からもやめるよう指示されて、湿布をやめたものである。治療について原告には過失はない。

第三証拠

本件記録中の書証、証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1項(交通事故の発生)の(一)ないし(七)の事実、並びに同2項(被告らの責任)の事実中、被告会社が加害車の運行供用者であること、及び加害車を運転していた被告宗に前方の注視を怠る過失があつたことは、当事者間に争いがない。

そうすると、被告会社は自賠法三条により、また被告宗は民法七〇九条により、原告が本件事故により被つた損害をそれぞれ賠償する義務がある。

二  そこで、まず原告主張の受傷と治療の経過を検討するに、成立に争いのない甲第五ないし第九号証、乙第二ないし第七号証、証人中山陽城の証言及び弁論の全趣旨から真正に成立したものと認められる甲第二号証の一ないし五、原告を撮つた写真であることに争いのない甲第四号証の一、二、証人中山陽城の証言、被告宗多賀人及び原告(第一、二回)各本人尋問の結果、並びに安西医院に対する調査嘱託の結果を総合すると、次のとおり認められる。

原告は本件事故の昭和五三年八月一四日、被告宗の運転するタクシーに、家族と共に乗客として乗車中、右タクシーが前方に停車した普通貨物自動車に追突したため、前方に倒れ、その際、右側顔面及び右手背に打撲症を負つた。追突の衝撃はそれほど強いものではなく、原告は右顔面を何かに打ちつけ、鼻の附近に痛みを覚えたが(当日は右手背の打撲について特に気付いていない)、他に用事もあり、怪我も大したことはないと判断したので、その日は病院に行かなかつた。

しかし、翌日になると右頬附近が腫れ出し、歯ぐきも痛くなつてきたが、同日は病院が休みのため、翌一六日にはじめて安西医院で診察を受けた。痛み止めの注射と薬をもらい、翌一七日は自宅で静養していたところ、今度は右手背が赤く腫れ、右腕全体に痛みを覚えるようになつた。そこで、翌一八日その旨を安西医師に訴え、また、その頃被告会社にも連絡した。安西医院では右側顔面打撲症及び右手背打撲症の診断名で引続いて治療を受け、前者は間もなく軽快したが、右腕(特に上腕部)の腫脹と疼痛はいよいよ著明になり、五か月余を経た昭和五四年一月二九日に至つても一向に治癒しないので、同年二月一日から久留米大学附属病院に通院するようになつた。

附属病院でも当初紹介された整形外科では診断がつかず、第二外科ではじめてリンパ浮腫(外傷性)との診断を受けた。同病院ではその後六年近く継続して、第二外科及び皮膚科で治療を受けたが、その間、請求原因3項の(一)に記載のとおり、前後六回にわたり入院して手術を繰り返した。そして、最後に退院した昭和五九年七月一二日の時点で、右腕のリンパ浮腫は、通常よりやや太い程度まで腫れが軽快したが、数度の手術のため、右上腕から手背部にかけて広範な瘢痕(手術創)と肉芽形成、それに右肩・肘の各関節に機能障害の後遺症を残しており、現在なお時折の通院を続けている。

以上のように認められるところ、前掲証人中山陽城の証言によれば、リンパ浮腫とは、何らかの原因でリンパ管の機能が悪くなり、体内のリンパ液の流れが末梢部分で止まり、中心部に環流しなくなつて、その部分(たとえば手や足の皮下)にリンパ液が溜まり、浮腫(むくみ、腫れ)を生ずるもので、一般には先天的なリンパ管の過形成もしくは低形成の異常がある者に限られ、年齢別では一五歳から二五歳までが発症率が高く、右の素因を有している場合、格別の原因がなくても自然に発症することがあるが、打撲その他の外傷を引き金に発症した事例も報告されているという。そして、原告の場合、本件事故後に右手背の打撲部位から腫れがはじまり、次第に上腕部に腫れが及んで行つた経過からして、診療にあたつた第二外科では、このリンパ浮腫を外傷性のものと判断していることが窮われる。

そして、被告らの指摘するとおり、本件交通事故において追突の衝撃はさほど強いものではなく、原告自身も事故当日は右手背部の打撲に気付いていなかつたこと、また、リンパ浮腫は、その素因がある場合、格別の原因なくして自然に発症する可能性があることを考えるとき、たしかに本件交通事故と原告のリンパ浮腫との間に因果関係があるか、疑問がないではない。しかし一方、本件追突事故の衝撃も、右側顔面に打撲症を残す程度の強さはあつたものであり、右側顔面を打撲した原告が、同時に右手背部を打撲した可能性は十分に考えられるところであり、その後リンパ浮腫が発症して行つた経過を見るとき、当裁判所もやはり、原告の右腕リンパ浮腫は本件交通事故による右手背部の打撲に起因するものとして、因果関係を認めるのが相当と判断する。

三  そこで、原告主張の損害を順次検討する。

1  治療費

成立に争いのない甲第八、九号証、第一〇号証の一ないし一〇、第一一号証の一、二、第一二号証の一ないし五五、原告本人尋問(第一、二回)の結果によれば、原告が前記のとおり入通院して治療を受けるにつき、いずれも久留米大学附属病院に対し、昭和五七年四月末日までの分として計三七万二五二九円、その後の分として入院関係で計三八万六三二五円、通院関係で九万八九二三円、以上合計金八五万七七七七円の治療費を、原告において負担していることが認められる。これを越える部分については証拠がない。

2  入院中の諸雑費

すでに認定したように、原告は前後六回にわたり、合計二二一日間入院して治療を受けているところ、その間一日あたり七〇〇円程度の諸雑費を要したであろうことは十分推認できるので、合計金一五万四七〇〇円の損害はこれを肯認することができる。

3  通院交通費

原告本人尋問(第一回)の結果によれば、原告は久留米大学附属病院に通院し、昭和五四年二月一日から昭和五七年四月末日までの間、少くとも三〇回はバス・電車を利用して自宅と病院との間を往復していること、自宅は事故当時久留米市津福本町にあり、昭和五六年七月に同市長門石町に転居しているところ、津福本町から病院までは電車とバスを利用して片道二一〇円、長門石町から病院まではバスのみで片道一八〇円を要したことが認められる。そこで、三〇往復のうち、二〇往復は津福本町、一〇往復は長門石町から通院したものとして計算すると、合計金一万二〇〇〇円の交通費を認めることができる。

4  付添費

原告本人尋問(第一回)の結果によれば、原告の夫は会社員として勤め、一か月一二万円位の給料を得ていたところ、原告が昭和五四年一二月一一日から昭和五五年二月二〇日まで入院した際、約一か月間会社を休んで付添看護にあたつたことが認められる。そこで、一日について三五〇〇円として三〇日分、合計金一〇万五〇〇〇円の範囲で損害と認める。

5  逸失利益

前掲原告本人尋問の結果によれば、原告は本件事故当時、筑邦モータースにおいて塗装手伝の雑役婦として、日給二〇〇〇円で一か月平均して一六日間働き、月額三万二〇〇〇円程度の収入を得ていたこと、それが本件事故により入通院中はもちろん、症状が固定した現在でも、肩、肘各関節の機能障害等の後遺症のため、稼働することができず、右収入を失つたことが認められる。

ちなみに、前掲甲第五号証及び成立に争いのない乙第一二号証によれば、原告の後遺症は自賠責保険の後遺障害等級表にあてはめると、右上肢の前示機能障害が七級、手術後の瘢痕が一二級、併合して六級に該当すると判断されるところ、右機能障害の七級についての労働能力喪失率は五六パーセントであるから、原告と同年齢の女子労働者の平均賃金と対比しても、月額三万二〇〇〇円の逸失利益はこれを肯認すべきである。

ところで、原告は事故当時二六歳で、本件事故に遭遇しなければ六七歳までは労働に従事し、その間月額三万二〇〇〇円程度の収入は得ることができたものと推測できるので、中間利息の控除にライプニツツ式を採用し、その間の逸失利益の現価を計算すると、次の算式により金六六九万〇五〇八円となる。

32,000円×12×17.4232=6,690,508円

6  入通院の慰藉料

すでに認定したような入通院の経過、ことに手術のための入院の繰り返し及び六年を超える長期間の治療を考えると、その慰藉料として少くとも金二〇〇万円は認めるのが相当というべきである。

7  後遺症の慰藉料

前示したような後遺症の程度(併合六級)に照らすと、その慰藉料としては金八〇〇万円を認めるのが相当である。

以上1ないし7の損害額を合計すると金一七八一万九九八五円ということになる。

四  ここで、被告らの主張について検討する。

1  先ず消滅時効の点であるが、本件事故の発生が昭和五三年八月一四日であることは当事者間に争いがなく、原告の本訴提起が昭和五七年五月二四日であることは記録によつて明らかである。

ところで、民法七二四条の消滅時効が進行を開始するについては、損害を知ることが必要であるが、すでに認定したように、本件事故が発生した際、原告が直ちに知つたのは右側顔面の打撲症であり、その後二、三日の間に右手背の打撲症も気付いたが、この当初の打撲症のみであれば、もともと損害賠償の請求が問題とされるほどのものではなく、本訴請求にかかる損害は、右手背打撲症を引き金として、その後右腕全体に及んだリンパ浮腫に基づくものである。そして、原告の右腕に及んだ異常な腫れがリンパ浮腫であることについては、当初受診していた安西医院はもちろん、久留米大学附属病院整形外科でも判明せず、昭和五四年二月同病院の第二外科で診療を受けるようになつて、はじめて分かつたものである。しかし、このリンパ浮腫は特異な疾患であるところから、その発症の原因、治療方法など医学的にも十分に解明されておらず、原告自身にとつて、リンパ浮腫の診断を受けたとしても、当時はそれが右手背打撲症と因果関係があるのか、その点さえ十分に知り得ず、この症状がどのように推移するのか、治療の難易あるいは予後など全く予測できなかつたものと考えられる。

前掲証拠によれば、第二外科では原因等を明確にするため、リンパ管造影を行うこととして、昭和五四年八月三〇日から同年九月五日まで、原告に第一回の入院をさせているのであるが、その際も右造影は成功していないことが窺われ、これらの諸事情からすると、原告が損害を知つたのは右入院以後のことであり、少くとも本訴提起から三年前の昭和五四年五月二四日の時点においては、損害を知つていたとはいい得ず、いまだ消滅時効は進行していなかつたものというべきである。

したがつて、この点被告らの主張は採用できない。

2  次に、被告らは因果関係を争い、また過失相殺を主張しているところ、本件交通事故による右手背の打撲とリンパ浮腫との間に因果関係があると認定すべきことは、前示のとおりであり、原告が医師の指示に従わず必要な湿布も怠つたと治療上の過失を主張する点については、本件証拠からそのような事実があつたと認め得るか疑問があるのみならず、その後の治療の経過からすれば、仮に湿布を怠つた事実があつたとしも、そのことが右腕リンパ浮腫に何らかの影響を及ぼしたものか、すでにその点から明らかでなく、被告らの右主張も採用できない。

しかし、証人中山陽城の証言から窺われるように、リンパ浮腫が発症するのは、先天的な素因を有する者に限られ、その素因を有するときは、本件交通事故による外傷といつた格別の原因がなくても、自然に発症する可能性があるものであること、更に、本件交通事故により被告らが原告に負わせた直接の被害は、右側顔面及び右手背の打撲症のみであるのに、それが原告自身の失天的素因と相俟つて、現実に惹き起されたリンパ浮腫の被害は非常に深刻なものであつて、その間には余りにも大きな較差があることなどを考えると、かかる場合、その損害のすべてを加害者側に帰することは妥当でなく、やはり損害負担の公平といつた面からも、原告にその三〇パーセント程度はこれを負担させるのが相当と認める。

五  そうすると、前記認定の損害額金一七八一万九九八五円のうち、被告らにおいて負担すべき損害額は七〇パーセントの金一二四七万三九八九円ということになるが、原告においてすでに自賠責保険から金一一二〇万円の支払を受けていることは争いがないので、残損害額は金一二七万三九八九円となる。

そして、本件事案の内容、審理の経過及び認容額など諸般の事情を考慮すると、被告らに負担させる弁護士費用としては金一五万円もつて相当と認める。

六  そうすると、被告らは各自原告に対し、右合計金一四二万三九八九円及びこれに対する事故発生の昭和五三年八月一四日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

よつて、原告の被告らに対する請求を、右の限度で理由があるものとして認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、民訴法八九条、九二条、九三条、一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 権藤義臣)

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